「平成」を迎えた頃、日本は「Japan as NO.1」。勤勉で器用な日本人は熱心に働き、その結果経済大国第1位へとのし上がりました。バブルと呼ばれた時期。日本企業がNYのビル街を買収し、人々もブランドを身につけ、それが素敵という価値観の時代でした。ブランドという憧れに向って人々が動いていました。どこか虚像だったのですが、夢や希望がありました。田中康夫著「なんとなくクリスタル」がベストセラーになりした。

物質的価値観と言われればそうかもしれません。しかし、それに向って行動することで、人々のメンタルも変わって行きました。ブランドの本質を知らないまま、なんだかブランドは良いと思っていた人々も沢山いました。日本人ってそういうところがあります。なんだか皆が良いという方向に流れる集団意識みたいなものが。

その後、バブルは崩壊し平成の30年間かけて経済は下りました。失われた時代なんて言われています。格差社会とも言われます。メディアも変化しました。ネットの普及により価値観が多様化し、人々の行動がより「個」の在り方を問うようになりました。ゆとり世代の若年層は「自分らしさの確立」と「従来のこうあるべき」という葛藤の中で教育を受けて来ました。海外のように生まれたときから「個の確立」に根ざした教育をしてこなかった日本ですから、「個」が教育においても社会の中でもなんだか上手く機能しないわけです。

人から どう見られるか、どう評価されるか、周囲から期待されて人格を形成する。その結果、自分を空洞化させなんとなく皆が行く方向に進む。安心だから。しかし、そんな歴史がある日本にも「個」を確立して生きなければならない社会状況がやってきました。グローバル化、IT AI化の大波、価値観の多様化、終身雇用制度の崩壊・・・。なんとなくが通用しない社会になって来ました。「なんとなくグレー」になると自分の身をどこに置いたらよいのか不安になりました。「幸せの価値とは何か?」を求めるようになりました。

世界の中の日本人として、また個人として「自分がどう在るべきか?」「どう在りたいか?」・・・「令和」新たな時代の幕開けです。今までの価値観は一度わきに置き、世代、年齢、階層、格差、などの枠は外して、今一度自分を振返り、新たな一歩を踏出す時かもしれません。